2024年9月26日再審無罪判決となった袴田事件。
2014年11月27日再審開始となり、袴田巌さんが釈放された翌日の11月28日に、被害者家族の唯一の生き残りの長女さんが亡くなりました。
袴田さんが勾留から解放されたタイミングでの出来事に、「なんで亡くなったのだろう?」と気になる人もおおかったようですね。
袴田巌さん釈放の翌日に被害者家族の長女が永眠
袴田事件の概要
1966年6月30日、静岡県清水市で味噌製造会社の専務である橋本藤雄さん一家が殺害、放火されるという事件です。
犯人として袴田巌さんが逮捕されたので、「袴田事件」と呼ばれています。
この事件で亡くなったのは、専務である橋本藤雄さんと妻、次女、長男の4人。
犯人の疑いがあるとして浮上したのが当時30歳だった袴田巌さん。
証拠が少なく捜査が難航しているなか、消去法で「一番怪しい人物」となりました。
1966年8月18日に袴田巌さんは逮捕され、厳しい取り調べをうけます。
袴田さんは一貫して無実を主張していましたが、9月6日に自白。
1967年から裁判が始まり極刑が求刑されます。
事件後の長女のその後
長女の橋本昌子さんは当時19歳で事件当日は祖父母の家に泊まっていいたため、事件を免れました。
その後昌子さんは事件現場の跡地に建てた住宅で暮らしていました。
長女の息子さんの話によると、長女さんは事件後に重度のうつ病を発症。
精神病院に入院していた時期もあったそうです。
2014年3月27日、袴田巌さんの再審開始が決定され、翌日長女さんが自宅で亡くなっているのを発見されます。
67歳で亡くなられました。
亡くなる4~5年前に夫が病気で亡くなってからは、独り暮らしをされていたそうです。
被害者家族の長女の死因は?
長女さんは、自宅で突然亡くなっています。
以前より体調はすぐれなかったということで、亡くなった原因は「病死」とされています。
ただ、袴田巌さんの再審開始決定と、釈放された翌日に亡くなったのを発見されていて、あまりにタイムリーなので病死ではないのでは?との憶測が飛び交いました。
一番多く憶測されていたのが、「自ら命を絶ったのでは?」という疑念。
そして、釈放の翌日に亡くならなければならない理由について、「真犯人がばれるから?」というさらに尾ひれがついてしまいます。
もしかしたら長女さんは、真犯人・真実を知っているのではないか?
袴田さんが、釈放されたことで、真実が問われることに都合が悪くなった?
とあれこれ考えてしまいますね。
事実、そういう憶測の声も多々見受けられます。
ただ、公表されている事実は、あくまでも「病死」です。
長女の息子さんは、長女さんの状態について、
と言っています。
長女さんが亡くなる前に、袴田巌さんが釈放された事実も知らなかった可能性が高いということのようですね。
また、長女さんは生前「長生きがしたい」と話していたとのこと。
袴田さんの釈放や再審開始と、長女さんが亡くなったことは偶然である可能性が高いですね
まとめ
今回は、袴田事件・被害者家族の長女の死因はについて調査していきました。
- 袴田事件・被害者家族の長女は、2014年11月28日自宅でなくなっているところを発見される
- 亡くなられた原因は「病死」とされている
- 袴田巌さんの再審開始・釈放の翌日の訃報であり、事件や真犯人との関連がネットで話題になった
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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