再審無罪判決となった袴田事件。
ネットを見てみると「袴田事件」と「紅林麻雄」で検索されていることがわかりました。
紅林麻雄さんは、静岡県警にいた刑事の名前で、当時冤罪を多く生み出した刑事として有名になりました。
「袴田事件」に「紅林麻雄」刑事が関与して、冤罪を生み出したのではないか?と気になっているようですね。
今回は、袴田事件を担当した刑事と紅林麻雄との関連を調べていきたいと思います。
袴田事件を担当した刑事は誰?
袴田事件を担当した刑事は紅林麻雄?
袴田事件の刑事と検索すると、一番最初の欄に「紅林麻雄」と表示されます。
しかもウィキペディアが一番上に表示されるので、紅林麻雄という人物が担当したのではないか。と思ってしまいますよね?
この紅林麻雄さんは、袴田事件の起こった静岡県警の刑事だった人なのですが、結論を言いますと、
なぜなら、1963年に亡くなっているからです。
1908年〈明治41年〉 – 1963年〈昭和38年〉9月16日
袴田事件は、1966年6月30日に起こりました。
袴田事件が起きる前に亡くなっているので、事件に関わっていないのは決定です。
袴田事件に関わった刑事は?
袴田事件に関わったとされる刑事の中で名前の挙がっている人物をまとめます。(事件当時の役職です)
- 羽切天竜署次長(羽切平一)
- 小倉三島署刑事課長
羽切平一という人物はのちに警視となりますが、他の冤罪事件・島田事件にも関与していたようです。
袴田事件で紅林麻雄が検索されるのは何故?
紅林麻雄は、たくさんの冤罪事件に関与
袴田事件で、紅林麻雄が検索されるのは、
という共通のワードがあるからです。
紅林麻雄という人物は、静岡県警察の元刑事ですが、彼の関わった事件では多くの冤罪被害が出ています!
- 幸浦事件(死刑判決の後、無罪)
- 二俣事件(死刑判決の後、無罪)
- 小島事件(無期懲役判決の後、無罪)
- 島田事件(死刑判決の後、無罪)
紅林麻雄には、「昭和の拷問王」という異名もつけられています。
静岡県警は冤罪が多いと印象づけられた?
紅林麻雄は、拷問による尋問・自白の強要・自分の先入観で供述調書を捏造するといった捜査方法の常習者だったと言われています。
紅林麻雄は、1963年に亡くなりますが、袴田事件で担当した当時の刑事は、紅林麻雄と一緒に働いていた人たちで、紅林の捜査スタイルを良く知っている人たちが中心となっていたようです。
袴田事件の裁判で提出された内部文書には、「情理だけでは自白しないから確固たる信念をもって自白させる」方針であったことが書かれています。
8月29日静岡市内の本件警察寮芙蓉荘において本部長、刑事部長、捜一、鑑識両課長をはじめ清水署長、刑事課長、取調官による検討会を開催し、取調官から取調の経過を報告させ、今後の対策を検討した結果、袴田の取調べは情理だけでは自供に追込むことは困難であるから取調官は確固たる信念を持って、犯人は袴田以外にはない、犯人は袴田に絶対間違いないということを強く袴田に印象づけることにつとめる。
引用:袴田さん支援クラブ
言い換えれば、どんな手を使っても自白させよということですよね…
静岡県警が紅林麻雄の捜査のやり方に染まっていたのか、紅林麻雄が静岡県警のやり方に染まったのか…
袴田事件で紅林麻雄が検索される理由
今まで調べてきたことをまとめると、「袴田事件」と「紅林麻雄」が検索されていた理由として考えられるのは、
- 「昭和の拷問王」と言われた紅林麻雄が静岡県警にいた
- 袴田事件も静岡県警の管轄で捜査が行われた
- 紅林麻雄は冤罪事件で有名
上の3点ではないかと思います。
冤罪を多く生み出した紅林麻雄が静岡県警にいたことで、袴田事件に紅林麻雄がかかわったのではないか?と思われた可能性がありますね。
まとめ
今回は、袴田事件を担当した刑事と、紅林麻雄が検索される理由について調査していきました。
- 袴田事件を担当した刑事は紅林麻雄ではなく、羽切平一
- 羽切平一は、冤罪だった島田事件の赤堀政夫さんに虚偽の自白をさせた人物
- 紅林麻雄は静岡県警の刑事で4つの冤罪事件に関与していた
- 袴田事件も静岡県で発生した事件で、冤罪であることから紅林麻雄が関与していると思われた可能性が高い
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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