宮脇詩音が“遅咲きの歌姫”と呼ばれる理由、再デビューから学んだ事とは

宮脇詩音が“遅咲きの歌姫”と呼ばれる理由、再デビューから学んだ事とは

2017.12.15

デビューから9年の月日を経て、“遅咲きの歌姫”と称された実力派女性シンガーの宮脇詩音さん。 最近は、歌手としての活動以外にも、CMへの出演や自らが主催するイベントの開催など、マルチに活躍しています。≠REPROFILEスペシャルインタビュー「OPEN the ×××」前編では、彼女の過去、そして現在の思いなど胸の内をせきららに語っていただきました。

こんな内容

音楽活動を始めたきっかけは何だったのでしょう?

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12歳で受けた『エイベックスオーディション2002』をきっかけに上京してきて、レッスンを受けさせてもらい、17歳でデビューしたのが始まりです。
子供の頃から歌ったり踊ったりすることが好きで、小学校3年生の頃に地元長崎のスクールに歌とダンスを習いにいきました。
小さい頃はセーラームーンが大好きで、テレビの前でエンディング曲を練習して、地元でやっていたお祭りののど自慢大会にお母さんと手を繋ぎながら一緒に出場していましたね(笑)

オーディションに受かったときはどんな気持ちでしたか?

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受かったときはすごく嬉しくて、真っ先に家族に報告しました。オーディションってその日に結果がでると思うんですけど、私のときはその場ではなく、後日郵送で合格通知が送られてくる形だったので、一緒に受けた子と「合格通知来た?」って確認しあっていました(笑)

受かった後はどうなりましたか?

 (23764)

中学2年生になるタイミングで上京してきて、学校に通いながらレッスンを受けていました。
月曜日から金曜日の学校終わりにレッスンを受けていたんですが、当時はその生活が当たり前になって、嫌になることも沢山ありましたね(笑)

歌うときに意識していることはありますか?

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歌詞を自分で書いているので、歌詞の意味だったり、ストーリー、世界観がどうやったら相手に伝わるのかなってことを1番大事に考えています。

作詞はいつもどのような方法でされていますか?

 (23762)

最近はスマホのメモに入れていますね。ちょっとでも「これいいな」と思った言葉が浮かんできたら、電車の中や外にいるときでもメモに書いています。
そのメモを見ながら文章を繋げたり、ストーリーにして細かい部分を組み合わせています。
ただ、実際に歌詞を書くときは、夜じゃないと駄目なんです(笑) 無音状態の部屋で集中して書くことが多いですね。

海外で歌われるようになった出来事はなんでしょう?

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1番最初は、アニメ「暗殺教室」のエンディングを担当させていただいたことがきっかけですね。「暗殺教室」を通して、日本はもちろん海外の方にも知ってもらうことが多くて、アニメのイベントで歌うようになりました。

他国の言語で歌うことは難しかったですか?

 (23765)

難しかったです(笑)
中国語は勉強していたり、少し住んでいたこともあったので、考えていたMCを忘れてしまってもアドリブができるんですけど、韓国語は一から勉強したので一つ忘れたら全部飛んでしまうプレッシャーがありますね。
発音があっているかわからないことがあるので、ライブに行く前は現地のスタッフさんに聞いたり、MC文章を一緒に考えてもらっています。
あと、毎日のようにボイスメモを送って、発音の確認をひたすらやっていました(笑)

今までで一番心に残っている活動はなんでしょうか?

 (23761)

地元長崎でカウントダウンライブに出させていただいたことですね。
家族や親戚、長崎で応援してくれている方々がいるので、地元で歌えることはすごく嬉しかったです。
あと印象深いことと言えば、去年の9月~12月までの4ヶ月間、渋谷で17週連続の定期ライブをさせていただいたことです。毎週1時間半程あるライブの中で、自分でなにを歌うか、衣装や照明はどうするのか、どうやったらお客さんに楽しんでもらえるのかを、全てセルフプロデュースすることが大変で。自ら作り上げていくことが初めてだったので、「人が集まるのかな」という不安もありましたし、毎週来てくださるお客さんには、飽きずに「次はどんなことするんだろう。また聴きにいきたいな。」と思ってもらえるように試行錯誤していました。毎週カバー曲を1曲入れたりもしていましたね。予算が無く、ダンサーさんをつけたり、他のことでお金をかけることができなかったので、衣装は自分で買いに行ったり、大変なことも多かったですけど、今後のことを前向きに考えられ、ファンの方々とのコミュニケーションもとれたので、すごく濃い4ヶ月間でした。

芸能生活を送る中での転機はいつでしたか?

 (23766)

デビューしてから2、3年エイベックスにいたのですが、契約が切れてクビになった時に初めて、自分の恵まれていた環境に気が付いたんです。オーディションに合格して上京してから、寮を用意していただいたり、レッスンを受けさせていただいて、それが自分の中で当たり前になっていました。中学校2、3年の時期はレッスンをサボり、寮を抜け出して何回も部長に呼び出されました。長崎から家族が謝りに来たことが2、3回あります(笑)
レッスンを受けたいのに受けられない、ライブをしたいのに出来ない、今まで用意していただいたものや環境が全てなくなったときに「自分一人じゃなにもできないし、どうすればいいんだろう」って。
いざクビになってからは、デビュー時からお世話になっていたライブハウスの方やよくオファーしてくださっていたオーガナイザーの方々に直接連絡をしました。ありがたいことにエイベックスをやめても「全然出ていいよ。」と言ってくださり、ライブに出演させていただいていました。
ライブ活動を自分でやっていく中で、気が付くことも沢山ありました。まず音源を自分で焼かないといけない、セットリストも衣装も全て一人でやらないといけない、、、そこで初めて自分でできるようにならないといけないと気付け、ありがたさ感じました。

夢を諦めようと思ったことはありますか?

 (23760)

当時は歌うことをどう辞めればいいかわからなかったんです。そのまま歌うことを辞めればいいだけだったんですけど。自分の中で歌うことが当たり前になっていて、続けていくことよりも、歌を辞めることを考えるほうが辛かったです。なので、どんなときも感謝の気持ちを忘れたくないし、一度クビになり、再デビューしてもう一度リスタート切らせていただいているからこそ、そんなに甘くないこともわかっています。なので、いつ終わっても悔いがないように毎日全力で取り組んでいますね。

ライブステージに立つときの衣装など、こだわりはありますか?

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リスタートからちょうど1年経った頃に、ファンの方と“ハッピーをシェアしたい”というコンセプトになり、ガラっとイメージを変える為、今まで切ったことのなかった前髪をばっさりオン眉にしたり、アップテンポのハッピーな曲を増やしたりしました。

今後歌手としてどのような活動をしていきたいですか?

 (23763)

エイベックスを離れた時期に“やっぱり歌を続けていきたい”ということが再確認でき、これからも長く歌い続けていきたいなというのがありますし、自分自身が売れることも目標ですが、後輩達の活躍をフォローしたり、音楽やエンタメに興味をもっている学生さん達の手助けができたらいいなと思っています。あとは、最近中華圏など他国にも行かせていただいているので、海外進出をしてエンタメを広めていきたいですね。

デビュー当時と比べて志の変化はありますか?

 (23768)

「他人任せにしないこと」ですかね。デビュー当時はスタッフの方に引いてもらったレールを歩いていたのですが、自分の人生なので自分が率先してやってみたいこと、興味のあること、それと語学にもチャレンジしていきたいですね。また、サポートしてくださるスタッフさんたちに感謝の気持ちを忘れず、自分の足で歩いていけるようになりたいです。
宮脇さんの音楽生活には、クビという辛い宣告があったにも関わらず、歌うことをやめずひたむきに活動してきた過去があるからこそ、今の彼女があるんですね。
「OPEN the ×××」後編では宮脇詩音さんの私生活など彼女のパーソナリティをご紹介していきたいと思います。
Interviewer:呉谷春奈(週末モデル)
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この記事を書いた人:≠REPROFILE編集部

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