2024年9月26日に袴田事件は被告であった袴田巌さんの無罪が確定しました。
死刑判決から一転。証拠は捏造されたものと判断され、冤罪であったことが認められた形になりましたね。
しかし、一部では冤罪ではないという意見も根強く残っています。
冤罪もあってはいけませんが、本当は罪を犯したのに無実になってしまうのも恐ろしいですよね。
今回は、袴田事件が冤罪ではないという理由について、調査してみました。
袴田事件の概要と裁判の経過
事件の概要
袴田事件は、1966年6月30日静岡県で発生した味噌製造会社専務の一家4人殺人事件です。
専務と妻、次女、長男の4人が、合わせて40か所以上も刺され、死亡後に放火されたという内容。
事件発生から1週間で延べ1000人以上の警察官を捜査に動員しましたが、手掛かりがつかめず捜査は難航。
現場や遺体の状況から内部に詳しい人物の犯行との疑いを強め、強盗殺人と放火の罪で住み込みの従業員だった袴田巌さんを容疑者として逮捕しました。
逮捕の決め手は、
- 袴田さんにアリバイがなかった
- 事件直後左手中指にけがをしていた
- 寮から押収された袴田さんのパジャマから微量の血液とガソリンが検出
これといった決定的な証拠がなかったのですが、袴田さんが元プロボクサーというのもありレッテルを貼られるような感じで逮捕となってしまいました。
逮捕後の取り調べに対し、袴田さんはずっと無実を主張してきました。
しかし、拷問に近い取り調べが続き、身の危険を感じたため袴田さんはやむを得ず自供をした、ということになっています。
裁判の経過
1966年12月に静岡地裁で初公判が開かれました。
検察側が提出した証拠は、
- 凶器とされたくり小刀が発見されている
- 犯行現場の逃走経路の供述と実証
- 事件から1年後に発見された「5点の衣類」
1968年に袴田巌さんに死刑判決が言い渡され、東京高裁に控訴し、翌年に第二審開始。
1975年証拠として挙がっていた5点の衣類のうち、ズボンの装着実験をしたところ、袴田さんには小さくて穿けないことが判明。
しかし、1980年死刑判決が確定します。
その後弁護側は再審請求を行い、証拠とされた5点の衣類のDNA鑑定もやり直して血痕が被害者・袴田さん本人とも合致しないことを確認します。
そして2014年に再審開始と袴田巌さんの死刑取り消され、釈放されました。
再審開始からも10年経ちましたが、2024年9月26日最高裁で無罪判決となりました。
袴田事件が冤罪ではないという理由
ネットに、袴田事件は冤罪ではなく、本当に袴田氏が犯人であると思っている人がいるのか?という質問がありました。
冤罪の可能性があるという声が大きくなっている中でも、本当には神田氏が犯人なのでは?と思っている人がいるということですね。
袴田事件が冤罪ではないという理由になるものがあるのかを調べてみました。
自白をしている
袴田さんは1966年8月18日に逮捕されてから、9月6日に自白するまで、1日2~5回、10時間以上最も長い時は16時間以上もの取り調べを受けています。
取り調べは半ば脅し文句で、「暴行」に近いものだったとご本人の手紙に書いてあったそうです。
「『殺しても病気で死んだと報告すればそれまでだ』と言っておどし、罵声をあびせ棍棒でなぐった。そして、連日2人1組になり3人1組のときもあった。午前、午後、晩から11時、引き続いて午前2時頃まで交替で蹴ったり、殴った。それが取り調べであった。目的は、殺人・放火等犯罪行為をなしていないのにもかかわらず、なしたという調書をデッチ上げるためだ。9月上旬であった。私は意識を失って卒倒し、意識をとりもどすと、留置場の汗臭い布団の上であった。おかしなことに足の指先と手の指先が鋭利なもので突き刺されたような感じであった。取調官がピンで突いて意識を取り戻させようとしたものに違いない」(袴田巌さんの手紙より)。
引用:袴田事件弁護団
袴田さんは、この過酷な取り調べから自分の命を守るために自白せざるを得なかった、と弁護側は言っています。
ただ、当時は「自白が一番の証拠」という扱いになっていました。
命を懸けて身の潔白を証明するのではなく、自白をしたということで、逃げられなくなったからあきらめて自白をした、と考える人もいるかもしれません。
凶器はくり小刀以外
事件当時に凶器とされたくり小刀。
弁護側はこの小刀で4人、合計40か所以上刺したはずなのに曲がりも刃こぼれもなく、原形をとどめていることがおかしいと言い、この証拠が偽造されたものだと主張しました。
それを証明するのに、世田谷区一家4人殺人事件の例を出し、この事件の凶器は自宅にあった包丁2本は、無残な形に曲がったり、刃が折れていたことを挙げています。
この根拠で考えると、検察が証拠としたくり小刀は凶器ではないかもしれませんが、発見されなかった凶器が存在します。
現在までに本当の凶器は発見されていないので、袴田さんが冤罪であると確定することもできない状態ではあります。
拘禁症状で過去の記憶をすり替えた可能性がある
袴田さんは、裁判中ずっと無実を訴えていましたが、1980年に一度死刑が確定します。
死刑確定後は発言も少なくなり死刑への恐怖から拘禁症状が出現。
「自分は神だ」「袴田巌ではない」と発言するようになりました。
現実を逃避、死刑と言われた袴田巌の存在を否定すること、自分が神となることで死の恐怖を払拭する思想へと変化します。
今ままでの記憶も封印してまったり、記憶の「すり替え」を行ってしまいます。
こうなると、無実だったのか、実際に罪を犯してしまったのか、自分でも判断することができなくなってしまいます。
記憶がなくなってしまうと冤罪なのか、本当に犯行に及んでいたのか真実が突き詰められないということになりますね。
まとめ
今回は、袴田事件が冤罪ではないという理由について調査・考察していきました。
- 袴田巌さんは、厳しい取り調べだったとはいえ、自白している
- 凶器とされたくり小型以外の本当の凶器が存在し、現在も発見されていない
- 拘禁症状で記憶のすり替えが行われ、過去の記憶がわからなくなっているため無実と断言できない
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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