2024年9月26日に再審無罪判決がとなった袴田事件。
裁判で証拠だった5点の衣類は捏造であったと認定されました。
当時証拠を捏造するほど、袴田巌さんは疑われていたということになります。
何故そこまでして袴田巌さんは疑われたのでしょうか?
今回は、袴田巌さんが疑われ続けた理由について、調査してきたいと思います。
当時の捜査状況
袴田事件は1966年6月30日に静岡県静岡市清水区(当時は静岡県清水市)で起こりました。
味噌製造会社「こがね味噌」の専務・橋本藤雄さんと、妻、次女、長男が刺殺され、さらに放火された事件です。
6月30日の午前1時50分ころに、専務宅の2階から煙が出ているのを隣の住人が発見、消防と警察が駆け付け、午前2時30分に火は消し止められました。
焼け跡からは、焦げた遺体が発見されましたが、4人全員から合計40か所以上の刺し傷が発見、死因が出血死であったこと、会社の現金が少なくなっていることから、強盗殺人と放火として捜査が開始されます。
事件から1週間以上たって、犯人を特定できず捜査が難航してきます。警察は現場や死体の状況から工場関係者の犯行という疑いを強めて従業員寮の捜索を開始。
7月2日に、次女の遺体の足元付近から凶器とされたくり小刀を警察が発見。
発見当時は柄もついていない状況で、のちに犯行当時に身に着けていたとされる雨ガッパから鞘が発見されます。
この小刀で4人に合計40回も刺したとされています!
刃こぼれもなく、血液すらついてないような気がします…
7月4日に、寮の袴田さんの自室から血痕が「少量」ついたパジャマを発見、押収します。
このパジャマの上に雨ガッパを着て、4人を合計40回も刺した、とされています!
そして、少量の血痕が発見。
上に雨ガッパを着ていたと自白していますが、40回も刺したあとのパジャマとは思えないほどの血痕の少なさです
袴田さんは元プロボクサーで体格が良く、柔道の有段者。疑いの目が袴田さんに向けられました。
8月18日に袴田巌さんは逮捕されます。
9月6日に袴田さんは、犯行を自白。
11月15日に初公判が始まりました。
よく話題に出る「5点の血の付いた衣類」の証拠が出てきたのはこの裁判の後、翌年の8月です!
袴田事件で袴田巌はなぜ疑われた?
袴田巌にアリバイがなかった
袴田さんは、事件のあったみそ製造工場の従業員で、会社の寮に住んでいました。
そして、事件発生時にアリバイがありませんでした。
事件当日は寮の部屋で一人で寝ていたから、だれも寝ていたと証言できる人がいなかったということですね。
袴田巌の怪我の存在
事件直後、袴田さんは左手中指にけがをしていました。
これが犯行時についた傷なのでは?と警察が疑うようになり、犯行に関連付けて捜査を進めていくことになりました。
血痕の発見
寮の袴田さんの自室から押収されたパジャマには微量の血痕がついていました。
これが袴田さんが犯人とする決定的な証拠とみなされます。
しかし、この血痕はのちに鑑定の結果血液型すら判定不能だったという結果になります。
捜査の偏り
警察は、犯人を「こがね味噌」に関連する人物の犯行として捜査を進めていました。
袴田さんは、「こがね味噌」で働く前にプロボクサーとして活躍していた時期がありました。
袴田さんは住み込みで働いていたので、地元民ではなく「よそ者」
そして元プロボクサーということで地域や警察から偏見の目で見られていました。
警察は袴田さんに「外部から来たボクサーくずれ」というレッテルを貼り、一番犯行に及びそうな人物として最初から決めつけて捜査をしていたと言われています。
捜査は消去法
事件当時、捜査は難航していました。
当時事件を担当した捜査員が、
証拠があまりにも少なかったので、捜査は消去法となった。その中で袴田が一番疑わしいということになった。だから袴田が犯人。間違いない
とTVのインタビューに答えていました。
自白
袴田さんは逮捕後、一貫して無罪を主張しました。
1966年8月18日の逮捕後、8月19日から9月6日の間に1日に2~5回、12時間以上の厳しい取り調べが続きます。
こん棒で殴られたり、蹴られたり、トイレにも行かせず、水も与えず、寝かせないといった過酷な取り調べに、命の危険を感じて袴田さんは自白します。
そんな取り調べ環境でも、当時は「自白」が一番の証拠として取り上げられていました。
警察の虐待とも思えるような取り調べの結果「自白」につながったことで犯行が確定された、ということになりました。
強要されて自白した内容は、
- 犯行の前日6月29日に犯行を決意。従業員寮で時間を待った
- 6月30日午前1時20分頃、パジャマの上に工場内の雨ガッパを着て、専務宅に侵入
- 寝ていた専務に気づかれて大声を出されたため、持っていたくり小刀で刺殺
- 専務の大声で目を覚ました妻、次女、長男も相次いで殺害
- 「焼いてしまえば跡が残らない」と考え、一人一人に油をかけてマッチを使って火をつけた
こんなにひどい拷問のような取り調べで得た自白
現在では考えられない出来事です。
ただ、この自白には一貫性がなくて、裁判の時には証拠として提出沙汰者も少なかったようです。
まとめ
今回は、袴田事件で袴田巌はなぜ疑われたのかを調査していきました。
- 事件当時犯人が見つからず捜査が難航し警察があせっていたという背景がある
- 袴田巌さんのアリバイを証明できる人がいなかった
- 押収された証拠品はこじつけで犯行時のものと断定された
- 手についていた傷も、こじつけで犯行時のものとされた。
- 住み込みで地元住民ではなかったこと、元プロボクサーだったことで偏見され、捜査当初から疑いをかけられていた
- 証拠が少なく捜査は消去法。その中で一番疑わしい袴田さんが最後に残った人物
- 逮捕の過酷な取り調べの結果「自白」という決定的な証拠をとることができた
最後までご覧いただき、ありがりがとうございまいた。
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