経済産業大臣の斎藤健さんが、2024年8月15日の記者会見で、9月の自民党総裁への出馬を検討していると表明されました。
斎藤健さんが自民党総裁選に出馬されるのは初めてだと思います。
どんな方なのか、生い立ちや経済産業大臣になるまでの経歴、気になるエピソードがあるか調査してみました。
斎藤健さんのプロフィール
- 名前 斎藤健(さいとう けん)
- 生年月日 1959年6月14日
- 年齢 65歳
- 出身地 東京都新宿区
- 出身校 早稲田実業学校中等部 東京教育大学附属駒場高等学校(現:筑波大学附属駒場高等学校) ハーバード大学ケネディ・スクール
- 家族構成 妻 長男 長女
斎藤健さんは、東京新宿区の小さな写真店の長男として生まれました。
ちなみに、トランプ元アメリカ大統領と同じ誕生日なのだそうです。
小学校に入学する頃には、あっという間にガキ大将となったそうです。
小学校2年生のときに、担任の先生から「ケンカ止め係」に任命されたとか。
ガキ大将をケンカ止め係に任命して、ケンカを減らそうとする担任の先生の発想がおもしろいです!斎藤健さんも抑え込まれてしまいましたね。
スポーツも大好きで野球少年として大活躍。
ピッチャーで、4番バッターを努めたそうです!
小学校を卒業する頃になるとアインシュタインに憧れ「理科系の仕事がやりたい!」と、学業に力を入れるようになりました。
早稲田実業中学校、東京教育大学附属駒場高等学校(現・筑波大学附属駒場中学校・高等学校)、現役で東京大学経済学部に進学しています。
理科系から文系へ方向転換されていたのですね!
大学時代は、ハンドボール部の主将として大活躍したのだそうですよ。
ハンドボールに打ち込みすぎて、大学は5年で卒業していました。
大学4年生のときに、社会のために働きたいという思いが強くなり、公務員になることを志しました。
若い頃から、志が高かったのですね!
1年間受験勉強に勤しみ、国家公務員上級試験に合格!
昭和58年大学卒業後、通商産業省(経済産業省)に入省しました。
斎藤健さんの経歴
衆議院議員になるまでの経歴
- 昭和58年4月
-
通商産業省(現:経済産業省)入省
- 平成3年
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ハーバード大学大学院に留学し、外交や安全保障を勉強。行政学修士号取得。
- 平成5年
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日米自動車交渉担当。戦後最大の通商摩擦でアメリカと渡り合った。
- 平成11年
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通商産業大臣秘書官に就任
- 平成12年
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内閣官房行政改革推進事務局へ出向。小泉内閣のホットな政策だった道路公団民営化などに取り組んだ。
- 平成16年
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埼玉県上田知事の要請で、埼玉県副知事として出向。
- 平成18年
-
衆議院議員選挙千葉七区から補欠選挙に立候補も、わずか955票差で惜敗
入省後も留学の経験や、県政など幅広く携わってこられた経歴がすばらしいです。
外交にも力を注いでおられました!
衆議院議員当選後の経歴
- 平成21年
-
衆議院総選挙で自民党大敗のなか、奇跡的に比例南関東ブロックで衆議院議員に初当選
- 平成24年
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2期目の当選で、環境大臣政務官に任命
- 平成25年
-
自民党農林部会長に就任。
- 平成27年
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農林水産副大臣に任命
- 平成29年
-
農林水産大臣に抜擢
- 令和4年
-
法務大臣に就任
- 令和5年
-
経済産業大臣に就任
初当選するまでに3年ほどのブランクがあったのですね。
当選後は、出世コースまっしぐらですね。
今までの功績が評価されているのがわかります!
気になるエピソードは?
ニコニコ動画が話題に
衆議院予算委員会での質問で「◯◯しちゃった」発言が話題となり、ニコニコ動画に投稿され、再生回数が35万を超えていました。
政治家を目指した理由は?
2024年7月28日にTVのインタビューで、政治家になろうと思った理由をお話されていました。
23年間経産省に勤めた過程で、政治との接点が相当出てきますよね。そのなかで、この国が将来なかなか大変な国になりそうだと実感は持っていたわけですよね。それを、役人をするなかで見てしまった。
見てしまった以上、どうするか。政治の世界に飛び込んでなんとかしようとするか、見なかったことにするか。例えば、川に子供が流れているのを見てしまった。見てしまった以上川に飛び込んで助けるのか、見なかったことにするのか、その判断をしなくてはいけない。
そう思ったときに、やっぱり飛び込もうとと思って飛び込んだ。
引用:NIKKEI日曜サロン
見て見ぬふりはできない。見てしまった以上なんとかしなくてはいけないと奮起されたのですね。
正義感の強いかたです。
思い出の一品
同じTVインタビューの中で、思い出の一品としておみくじを披露する場面がありました。
「大吉 第1番」のおみくじです!
その時のことを、下のように話していました。
政治の世界に行くかどうか悩んでいた時期があります。行くっていっても、ツテがないです。親も政治に一切関係ない家に生まれていますし、お金があるわけでもない。
40代前半のとき、奈良県の岡寺に行って。そのお堂の中の観音像の前で、自分はどうすべきかと出馬するのか、官僚のままで行くのか30分観音様が答えをくれないかと、ずっとそこで正座をしながら、心のなかで対話をしていた。
が、答えがでない。それで観音像の横におみくじがあったなと。お堂から出たあとにおみくじを引いて大吉がでたら勝負をしようと。
それでいいですかと観音様に問いかけた。だが、まてよと。大吉を大盤振る舞いしているおみくじもあるのではないかと。大吉だけじゃ不安だと。それで1番の大吉がでたら自分は決心しようと。思って引いたら、1番の大吉だった。
これは相当確率が低い。自分にとっては宝。
そのおみくじの裏に、「天のみこえ」というのが書いてありまして、
「国というくにもかがみとなるばかり みがけますらを大和だましい」
と書いてあったので、これはもうやるしかないなと。このおみくじは大事な1枚です。
引用:NIKKEI日曜サロン
このお話を聞いたときに鳥肌がたちました!
なるべくして、なるような。
選ばれし者の運命的なエピソードですね!
座右の銘
斎藤健さんの座右の銘はふたつありました。
一つは、政界入りを目指そうと思った頃のもの。
おもしろき ことなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり
(高杉晋作・辞世の句)
もうひとつは、前述のTVインタビューでお答えしていたもの。
内に深く 外に広く
自分自身の行いなり、やるべきことには深く考えるし、いろんな意見をうかがうっていうことには広く皆さんの意見を伺いながら、しかし自分自身は深く反省しながら前へ進んでいこうと、つねに自分自身の中に深く刻み込んでいかなくてはならない言葉だと思っています。
引用:NIKKEI日曜サロン
政界に入るからには、なんでもやってやろうという意気込みや、自分への厳しさが感じられる言葉です。
まとめ
現経済産業省大臣・佐藤健さんの生い立ちや経歴、エピソードなどを調査してきました。
- 子供時代は野球少年、大学時代はハンドボールなど体育会系だった
- 幼い頃から勉強好き、大学時代に社会貢献を目指し公務員試験に合格
- 通商産業省入所し、留学や外交を経て政界入りを決意
- 衆議院議員当選後も、スピード出世で農林水産大臣、法務大臣、経済産業大臣を歴任
- 衆議院予算委員会での質問のニコニコ動画が話題になった
- 政界入りを決意したおみくじエピソードが神がかっていた
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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