明治大学内野手の宗山塁選手。
20年に一人のショートストップとして、2024年のドラフト会議でも非常に注目を集めていますね。
そんな宗山塁選手の父親ってどんな人だろうと気になる方もおられると思います。
今回は、宗山類の父親について調査していきたいと思います。
宗山塁の父親は宗山信吉さん
宗山塁の父親・宗山信吉さんは広陵高校野球部OB
宗山塁の父親は宗山信吉さんで、広陵高校の野球部OBです。
信吉さんご自身も野球を幼いころから経験されてきました。
いわゆる、
です!
- 三次中学時代は右投げエースとして活躍
- 広陵高校では右投げ・左打ちで外野手の定位置を狙っていた
- 50m走6秒0の俊足が「売り」
- 広陵高校2年の秋大会で外野手として初めてベンチ入り(背番号17)、代走・守備要員でスタンバイ
ベンチ入りは、高校時代に1回だけ
高校3年生の4月に、蓄積疲労のあった半月板の手術を受けます。
この時に選手の道は断念されたのだとか。
そのあとは、縁の下の力持ちてきな存在となって
- 率先してグラウンド整備や雑用をこなす
- ノックの補助
- 下級生の指導係
を行ってきたそうです。
ベンチ入りから一歩離れることで客観的な視点が養われたのではないでしょうか
塁さんの指導にも活かされていくエピソードです!
- 名前 宗山信吉(むねやま しんきち)
- 生年月日 1974年11月19日
- 年齢 49歳(2024年10月時点)
- 出身地 広島県
- 出身校 広陵高等学校
- 職歴 三次市役所勤務
宗山信吉さんは少年野球部の監督もしていた
宗山信吉さんは、少年野球や中学校で監督やコーチとしても活躍していました。
もちろん宗山塁さんもそこで指導をうけます。
- 三良坂少年野球部の監督として6年間指導
- 三良坂中学時代に在籍した高陽スカイバンズのコーチとして3年間指導
宗山塁さんが中学校を卒業する9年間は、父親の信吉さんと一緒にずっと野球をしてきました。
宗山塁の父親・信吉さんのエピソード
宗山塁の名前は父の思い
宗山塁さんの名前は、お父さんが名付けました。
2003年に生まれた塁さんに「息子に野球を託したい」という思いを込めて「塁」と名前をつけたそうです!
お父さんの野球愛がすごいですね!
ご自身がケガのために歩めなかった道を息子さんに託したかったのですね。
特設練習ケージで毎日練習
宗山塁さんは、小学校1年生の時に野球チームに入りたいとお父さんに言ったそうです。
その時に
これがチームに入る条件となりました。
もちろん、練習は父親の信吉さんも一緒です。
会社勤めで、仕事が終わって帰宅してから塁さんの練習に付き合うことになるので、相当な覚悟が必要だったとか。
ご自宅の前に毎日練習できるように打撃ケージを知り合いの業者さんに作ってもらったそうです。
宗山塁さんは、お父さんとの約束をしっかり守って、広陵高校の野球部の寮に入るまで毎日練習をしました!
日々の生活も厳しく
宗山信吉さんは、自己管理の重要性を塁さんに伝えています。
塁さんが大学に入って、怪我をすることがあり、怪我と故障の違いについても語っていました。
けがは運もつきもの。
運を良くするために
と話したことがあるのだとか。
それを守っているのか、宗山塁さんはとでも真面目な方。
食事の面では、大学に入ってからストイックになったようです
- 脂身を避ける
- 砂糖も口にしない
- 毎日納豆を食べている
- お酒も飲まない
お父さんの言葉を守ってか、野球に全集中していますね!
大谷翔平選手に似ているところがあります
ドラフトで注目されるのもうなづけます!
まとめ
今回は、宗山塁の父親の宗山信吉さんについて調査していきました。
- 宗山塁選手の父親は宗山信吉さん
- 宗山塁選手の出身校・広陵高等学校野球部のOB
- 高校2年生の時にベンチ入りするが、半月板の故障でレギュラー断念
- その後は部員のサポートや後輩の指導にあたっていた
- 宗山塁選手の名前は、「息子に野球を託したい」という思いから命名
- 自宅前に毎日練習用の打撃ケージ作成
- 宗山塁選手が小学校1年生のときから少年野球チームの監督・コーチとして常に指導してきた
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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