プロレスラーでタレントのアジャコングさん。
全日本女子プロレス全盛期だった頃に新人時代は、「極悪同盟」のメンバー・ブル中野の付き人や「獄門党」の一員として、「悪役レスラー」を演じて女子プロレス界を盛り上げました!
そんなアジャコングさんを育てた母親は、彼女が試合をしている最中に亡くなられ、悲しみを堪えながら出場。
対戦相手も泣きながら試合を続けたそうです。
アジャコングさんの母親とは、一体どんな人だったのでしょうか?
今回は、アジャ・コングさんの母親について、調査していきたいと思います!
アジャコングの母親は事実婚だった
アジャコングの母親は、米軍関係者と事実婚
アジャコングさんは、1970年9月25日生まれ。
現在は54歳です。
父親は、米軍立川基地に勤務していたアフリカ系アメリカ人でした。
ご両親は正式に入籍しておらず
の状態。
アジャコングさんの母方の親族は父親をあまり良く思っていなかったようで、親族全てから絶縁されていました。
あまり…ではなく完全に拒絶されていましたね!
米軍人ということでかなり敬遠されてしまったようです。
お母さんは、親戚すべてを敵に回しながらもアジャコングさんを生み育てたのですね
アジャコングさんがまだ幼いときに、父親がアメリカに帰ることになって、そこから母一人子一人の生活が始まります。
母子家庭なので、母親は毎日仕事。
1990年に肝臓がんで亡くなられました。
格闘技の道を進めたのは母親?
アジャコングさんの母親は、空手を習うように勧め、小学校から中学校まで空手を習っていたそうです。
中学校ではバレーボール部に所属していましたが、当時人気だった女子プロレスの「クラッシュ・ギャルズ」にあこがれて中学卒業後に全日本女子プロレス入門テストを受けて見事合格しました!
プロレスの道を志したのは、お母さんが空手を勧めたこともきっかけの一つかもしれませんね!
母親の得意料理は水餃子?
小学校のときから自炊を叩き込まれた
母子家庭で育ったアジャコングさんは、小学校3年生になると自炊をするようになりました。
母親が働いているから自分でやるように言われたそうです。
食材宅配の「タイヘイファミリーセット」が自宅に送られてくるので、それで自炊をしていました。
母親の作る水餃子が好物
アジャコングさんが母親の料理で覚えているのは水餃子。
スープ餃子みたいにして、食べていたそうです。
皮は市販のものですが、あんは母親の手作り。
手間がかかるので、2~3ヶ月に1回くらいしか作ってくれなかったそうですが、大好物だったようです!
美味しくていくらでも食べちゃう
アジャコングさんには絶品でした!
お母さんが休みの日の手料理を楽しみにしていたのですね!
母親の教えは「とにかく食え!とにかく寝ろ!」
アジャコングさんは、かなり体格に恵まれています。
しかし、中学校時代の体格は、身長が165cmくらいあったものの体重は60kg。
全日本女子プロレス入団テストに合格するためには、もう少し太らなくてはいけないと思いたくさん食べたそうです。
その成果があって、テストを受ける頃には体重が70~80kgまで増えて見事合格。
現在は108kgまで肉体改造されています!
亡くなられた母親からは、
と言われていたそうで、自分ひとりで生きていくためにも
しっかり食べてしっかり寝ることが親孝行だ!
と思っているそうです!
体格に恵まれたのは、父親のおかげとも話しています!
ベースの体と、お母さんの言葉で現在の体格をキープできているのですね!
まとめ
今回は、アジャコングの母親について、調査していきました。
- アジャコングの母親は、米軍立川基地に勤務していたアフリカ系アメリカ人と事実婚だった
- アジャコングが幼少時に、父親はアメリカに戻り、母親は毎日働き母子家庭で育った
- 母親は、仕事が休みの時に水餃子を手作りしてくれた
- 母親は肝臓がんを患っており、1990年アジャコングが試合の最中に亡くなった
- 母親からは、「とにかく食え!とにかく寝ろ!」と言われていた
最後までご覧いただき、ありがとうございました!
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